ある暖かい薄曇った日のことです。
私はひとり、海沿いの路線を汽車に揺られていました・・・
がらんどうの車内になぜか乗客はわたしひとり・・
とある駅で、大きな風呂敷包みを抱えた、奇妙な紳士が乗り込んできました・・・
ごとっ
兄さんごらん・・・海だよ・・・
その紳士は大きな風呂敷包みから大事そうにくつしたを取り出すと窓に立てかけ、なにやら語りかけているのでした。
私がその奇妙な光景が気になって気になってたまらずにいると、紳士の方から話しかけてきました。
このくつしたですか?気になりますよね。
無理もないでしょう。
・・・・・
ちょっとここをごらんになってください。
・・・いえ、そこじゃなくて
このくつしたには破けた穴があるでしょう。ちょっとここを覗いてみてごらんなさい。
あっ!!
なんとくつしたの内部にはみごとな刺繍細工がほどこされており、美しい娘と今横に座っているこの奇妙な紳士にそっくりな男がまるで生きているかのように活き活きと描かれているのでした・・・
こ、これは一体・・・
ここにいる男は私の兄です。
えっ?
このくつしたは外側からは判らないように内側から刺繍をして、破れのつくろいをしたようです。
誰がこんな器用な細工をしたのか不明です。
普通では気づけない、穴の中の細工に気付いた兄はすっかりその娘に夢中になりました。
穴を覗くとまるで刺繍細工の娘は兄だけのために微笑み返しているようではありませんか。
来る日も来る日も兄は狂ったように穴を覗き続けて・・・
そしてとうとう!!
・・・・・入ってはならない世界に潜ってしまったのです。
でもよく見てご覧なさい。兄のこの幸せそうな顔を。
兄はきっと恋い焦がれていた娘に、よいそれて本望を遂げたのだと思います。
なのでもう二度と戻ってこないくつしたの中の兄と娘のために、私は新婚旅行のつもりでこうしてあちこち旅をしてまわっているわけです。
・・・・・
信じるも信じないもあなたの自由ですが・・・
話をきいてくれてありがとう。・・・
いつの間に停車駅についていたのでしょう。そういうと紳士は汽車から降りてしまいました。
はっ!
もし!ちょっと待ってください!
我に返った私があわてて追いかけていくも
あの奇妙な風呂敷包みを抱えた紳士はいつのまにか霧のように消え失せているのでした・・・
To Ranpo・・・・